先日の支援活動
活動時間の合間をみつけ大船渡の親類に会うことができた
夕方、行くという連絡を入れ45号線を南へ向った
家が近づくにつれ、身震いがした
左手の家々が軒並みガレキの山に変わっていたのだ
テレビでは見ていたが、本当に悲惨の2文字だった
幸い、そのお宅は津波の影響は受けずに済んでいた
しかし道路を挟んだ向かいの家の前には、見ず知らずの車が流されて来ていた
私が家の前に着いた時、私がおかんと呼んでいる方が窓から確認して出てきた
顔を見た時、すぐに言葉が出なかった
何を言ったのか覚えていない
何か必要な物があったら遠慮なく言ってくれと連絡していたが
何も要らない・・ 会いたいと言われた
しかし、断水が続いていると聞いていたので
ペットボトルの飲料水を1箱持参した
おとんも出て来てくれた
居間に通された私は、言わなければと思いつつ言った
「本当に無事で何よりでしたよ・・」
おかんとの出会いはもう10年以上前になるだろうか・・
職場の忘年会で私が幹事だった時、大船渡に宿をとった
その時、2次回で行ったのがおかんが一人で切り盛りしていた小さな飲み屋だった
5,6名が座れるカウンターと4人掛けの座敷テーブルが3つ
カウンターの前にはおでんの四角い鍋があり、いつも美味しそうな匂いがしていた
そしていつも、きれいな花が活けてあった
カラオケも先端の機材があり、充実していた
最近は子供が生まれ、めっきり行っていなかったのだが
一時期は、月一ペースで片路1時間半かけて通った
後にも先にも一人で飲みに行く店は、唯一この店だけだった
行く時には連絡せずに、「ただいま~」と、のれんをくぐる
おかんも、明るく「お帰り~」と言ってくれた
とても暖かい店で落ち着くのだった
もちろん、帰っては来られないので車中泊
そんな私におかんは、
「車じゃ寝られないでしょ・・ 店に寝るか? 毛布もあるし起きたら帰ればいいよ」 と
甘えたい気持ちはあるのだが、どうも気が引けていつも拒んでいた
だが、そんなおかんの気持ちが本当にうれしかった
そんな暖かいおかんの店には、頻繁に長とか副と肩書きの付くお方々がお忍びで来ていた
酔った勢いでそんな方々とムズイ話をしながら飲んだこともあった
夏には恒例の花火大会があると出掛けた
店の横の駐車場は海上の花火を見るには、うってつけの場所だった
祭りの時は夕方5時を回ると道路規制があり、一般車は入れない
しかし、おかんの娘が迎えに来て道路規制している消防団に言ってくれた
「うちの兄です、通して下さい」 そうやって通してもらった事もあった
そこで花火を見る私は、大船渡市民となっていた
ある年のクリスマスが近づいた夜、クリスマスツリーを持っていった
おかんはツリーをカウンターに置きイルミネーションに点灯して、それは喜んでくれた
今、思うと・・ ほんとに懐かしい
そんな、暖かい店は流されて無くなった
思うと胸が痛む
しかし・・ おかん、おとん、アンちゃん、リュウちゃん
皆無事で本当に良かったよ
おとんが、「釣りやってるか?」
このパックロッド、みつけたから使ってくれと・・
「え、いいんですか? 俺、何しに来たんだか・・」
「使ってもらえるとうれしいよ」
「大事にします!ありがとうございます!」